社会人であることが、
「この社会と共に生きることを選択したんだ」
ということになるのなら、
やはりぼくは、「社会人の言う社会人」としてまだまだ著しく未熟、
あるいは「枠外」にある。
個と共のすみわけ/バランス、もちつもたれつ、空気読み…
その他もろもろの認識が非常に甘い。
つまり、「共生」に足る自覚がない。
結局、「オトナになりきれてない」のである。
ただ、どんな評価であろうが、模索したいのです。
これまでの「社会の中で生きる社会人化」ではなく、
違う「生き方/活かし方」で、多くの人が暮らせる。
そんなコミュニティの発展的な在り方を。
それは、ぼくの「アンチ」的なわがまま精神に端を発しているとしても。
「迷うのは、学生のうちにしといてくれ」
と、社会人の諸先輩方は言うのだろうけれど、
模索なしにしたら、
これまでの社会の文脈に押しつぶされるだけなような気がするのです。
たぶんその押しつぶされた感じが、
今の世の若者の「絶望」につながってるのではないのだろうか。とか思ってみたり。
さらに、そんな社会に未来はないように思うわけです。
もちろん、既存文脈を決して否定はしません。
現状のコンテクストにまじり合おうとする努力はする。
むしろ、この文脈の中でも生きるチカラは磨きたいとすら思う。
それは、ひとつの立派なチカラだと思うからです。
ただ、磨きつつも、一歩進んだものとしての、新しい「共生社会」。
それを見つける努力を、ぼくらはしなければならないのだと思う。
だって、「オトナ」は、今の「共生」を捨てようとは絶対にしないから。
それが実際は、搾取の構造だとしても。
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070317
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