広告代理店から愛を込めて

心筋梗塞になった40歳広告代理店の人のブログ

テレビの、これから

NHKの「テレビの、これから」と題した放送記念日の特別番組をたまたま観た。
生でこういう番組でやるというのもNHKならではだが、今頃こんな議論がされているのかとがっかりしないでもない。
(ある意味一般の視聴者として参加している人のほうが良く分かっている。)
夏野さんの「単に視聴率を換金レートにするモデルは崩壊しますよね。」とか
「ネットとテレビは対立軸にはありません。」という当然の議論が革新的になっちゃうあたりが物足りなく感じた。
それにしてもテレビ製作者側のネット社会に対する認識の貧弱さが改めて露呈して見えた番組でもあった。


問題の本質は、情報の受け手に主導権が移行しているにもかかわらず、いまだにある「送り手の思い上がり」である。
それが彼らの使命感といった自身高尚なものと考えていようと、
無意識にでも送り手の影響力を誇示したがる潜在意識がものごとをゆがめている。
今の社会のコミュニケーション構造からすると、そうした送り手主導構造はすでに破綻しているのである。
そうした「送り手の思い上がり」を視聴者がみな見抜いていて辟易としていることにすら気づいていない。


ただマスメディアの最大の影響力は、「今話題とすべきはこのテーマ」と決定してしまうことである。
テレビでコメンテーターが何を言っても、今の視聴者はそれにすべて流されるほどバカではない。
議論の賛否はネットでも両論どころかさまざまな視点で評価される。
しかしマスメディアはその議論するテーマを特定してしまう。
報道も大事なテーマを全く報道しないできたことがたくさんある。意図的に封殺してしまうこともある。


それでもネット社会は、マスの送り手が勝手に決めてしまうことを認めないだろう。
そのうちオリジナルな取材力を身につけてくるに違いない。そしてその伝播力と信憑性を高めるメカニズムを獲得するだろう。
http://g-yokai.com/2009/03/post-155.php

最後の1行以外は、同意。
最後の1行に関しては、そこまでの収斂能力を持ってくるのか、ちょっと疑問。
自分の中でも答えが出てないけれど。


オレンジ部分は、意外とキーな気がする。
なんか、新聞にしても(特に社説)報道にしても、
意思/意見を“披露”するだけに終始している気がする。


なんか、マスメディアの人たちにも、議論を促す、とか、
問題提起をする、とか、意思/意見の“披露”の“次”を視野に入れてほしい。


みのもんたの、小倉さんの、村田の、古舘伊知郎の、
完全に世間ずれした、私見だけの披露など、見たくないし、共感もしない。
スタンスからズレている。


それよりは、ネットでみっけたちゃんと考えてものを書いてくれている人のブログエントリーを、
ぼくは参考にする。
別にネット信者ではないけれど。