これから先は、広告もサービスにならなきゃという考え方です。
代表的な事例としては、 バス乗り場でのエコ広告。
夜、ひとがいるときにだけセンサーで反応して 明かりがつくという、
省エネのデジタルサイネージなんだそうですが、
ま、ようは、
メッセージを伝えるだけじゃダメで、 それ自体が体感できて、
しかもそれが生活者からしてみればサービスになっていると。
(言い換えると、それが生活者にとってのソリューションになっていることが大事)
広告中毒
スッキリした。
枠にはめられたただけの写真と言葉だけじゃ、
存在意義がもうない。
CB関係で、「意思と行動が伴った時に、それは1つの人格になります。」
という言葉を最近よく聞いていて、
たぶん、広告も人格を感じさせなきゃいけないんだ、と。
それには、明らかに行動部分が足りなすぎる。
意思も、見えなすぎる。
先週、ある部長さんと3時まで飲みにいくはめになり、
広告会社の未来はなんだ??みたいなハナシになったのでちょっと書く。
まだ答えはわからないし、答えがあるのかすらわからないけれど、
なんかここら辺にヒントがあって、
ここら辺にお金を儲ける仕組みをつくらなきゃいけない。
気がする。
広告会社の看板をおろして、一回サービス業になろう。
どう名乗って、どう稼ぐかは、試行錯誤するしかない。
たぶん、試行錯誤をする体力がない会社は淘汰されていく。
そんなカン働き。笑