慣れというのは恐ろしいもので、
ものすごい熱意と憧れと畏敬をもって飛び込んだ世界なのに、
なんとなくそれが当たり前になってきて推進力を失くす。
なんでかわからないけれど、、
「なにしてんだろ。おれ。」てゆー虚無感が離れなかったりする。
なんとなく、虚業といわれる側面がわからなくもない、今日この頃。
自分をわかるためには、
自分が「何」であるかを考えるのではなく、
自分が「何」を失えば、自分でなくなるかを考えるとよい。
なんだろう。何を失えば自分でなくなるんだろ。
反抗?孤独?ニヒリズム?
どれも側面だけで、本質をついてない気がするのよね。
ビジョン?
いや、ビジョンなんてそんな高尚なもの持ったこといまだかつてないのよね。
「こうなりたい像」はある。
けど、そのために何をしたらいい?
足らないものが多すぎる?いやその前に足らないかどうかも確認できてない?
言葉とか、感情表現の能力に対する憧れみたいなのはずっとあるけれど・・。
投げたボールが返ってこない感じ。手ごたえのない、無機質な時間がすぎてく感じ?
社会的弱者のつらさってのはこういうことなのかしら。
「ヒラヤマはどうすればいいんでしょうか?」
という漠然とした質問を、酔っ払ったついでに、敬愛する先輩に投げかけてみた。
「ヒラヤマくんは、感受性高いし、本物を視る目があるから、そのままいけばいいと思うよ。」
と言われる。
言われて嬉しくないことではないのだけれど、???が増す。
群馬県水上で、9メートルの断崖から河へダイブ。
自然はあまりにもリアルで、降り注ぐ太陽は熱くて、勢いよく流れる水は冷たくて、
無造作に存在する石は固くて。
42メートルのバンジージャンプがあって、ものすごい惹かれたのは、
ジャンプした後の自分が変わってるかもしれないと思ったから。
なんて安いチャレンジ。笑