広告代理店から愛を込めて

心筋梗塞になった40歳広告代理店の人のブログ

サステナ


実はおれの本質もここなのかも。と気づかずにはいられなかった。


マーケティングプランナーというものは、
企業がものを売るため。顧客からの信頼・支持を得て、お金を支払ってもらって自社製品を買ってもらう。
それを目的にした全ての活動をプランニングする。


ただ、究極目的は利益最大化。
そのために、どんなステップを踏むのか。
それが、「おもてなし」だろうが、「価格下げ」だろうが、「コンテンツ提供」だろうが、「PR」だろうが、
なんでもいい。


なんか違う。
と思うのは、現実逃避かwそれとも葛藤かw
よくわからない。

彼女がやりたいことって、クリエイティブエージェンシーっていうより、ジャーナリズムなんではないかと、改めて思う。

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Data : 2004.08.05

いずれはメディアを作りたい。テレビはすごく大きいけれどあまりにもつまらない。
マスメディアへの入り方は環境とかCMで入るのがいいと思うけど、それで満足かっていうと、
本来はなんのためにそれをやるのかっていうと、
民主主義の礎になるはずのマスコミっていうのが「望ましい民主主義」を支えている形になっていないから。
下村健一だってもっと前に出ないといけないし。そのために道を空ける場所を確保したい。
作れる人はいっぱいいるのに、その場を確保する場所をつくろうよ。
今ある民放がサステナに番組を売るよとか、そういうことをもくろんでいる人たちが、
目指している人たちがいるんだってことを分かる必要があるのかもしれない。


新聞社にいるとデスクにニュースがつぶされるって、不満をウェブにぶちまける人が多い。
下村健一はオウムの問題の時に出てきた。いずれは筑紫哲也みたいになる人なんだけど、サタデーずばっとって企画の中で、
市民の人が撮影までして流すっていうのをやろうとしてたんだけど、
当日になってみのもんたが「俺がいままでやってきたような仕事をばかにしとる!」って言って潰されたんですよ。
みのもんたさんが、ここまで番組に関係してるのがすごい。


下村健一は生粋のジャーナリストなんだけど、もっとちゃんとこう、ジャーナリストとして彼のニュースを出したいし、
そもそも市民テレビってのをやろうっていって「やろうマエキタ!」って言われたのは10年前。
誰がぱっとみてもわかるニュース局。核爆弾が降ってきても壊れないテレビ局。
マスメディアの責任てそういうものだと思うんだけど、
ペンは剣より強しっていう言葉がある。民主主義とのせめぎ合いで、言論への弾圧っていうのがすごい。
そういうのが無いからつくろうと。歌舞伎町の裏話を書いたジャーナリストが、ヨットに手足縛り付けられて死んでたわけ。
危険があって、そういう人たちの命を守るセキュリティのある場所をつくらなくちゃいけないね。
政治に関わることのなにかをすっぱ抜こうしたときに、ちゃんとかくまえる場所をつくること。
しょっちゅうスクープにつきあっていると命狙われるかもって思うんだよね。


で、そういうメディア機関を作るってのが、事業計画に関わってくる。
言論の自由ってのはタダじゃできないんですよ。
見栄えとして、決意として。真実を曲げようとする圧力には負けないからね、ってツラしてることが大事だと思うんです。
昔の岩波書店はそういうことを考えてたみたい。あの会社がそういうことやってるんだよって噂が流れることも大事なんだよ。
朝日新聞は襲撃されてオイオイ泣いてる場合じゃないんだ。セキュリティ甘いもん。


・広告代理業
・クリエイティブデザイン
・メディアを持つ


クリエイティブって言うのは表現だと思うのね。
広告って言うのは媒体をちょっとづつお金で買って表現を出していくってのが大事。
クオリティを高めて、効率を高めて、情報を伝えていく。
社会表現。メディアは問わないスキームで、広告だったり、ファンドだったり、選挙のキャンペーンだとか、だから道具を決めない。
道具を自由に選んで勝負をしているので、目的はムーブメントを起こしていくことだったり、必要な情報をちゃんと伝えることだったり
、むずかしいとか説教くさいって思われていることを本当は楽しいんだって、伝えたり、
表現の力で「人の既成概念を突破していく」。
人の可能性を信じさせたり、結果、経済っていうのが環境経済にエコシフトしたり。


オフィス・フォー・クリエイティブ・ディストラクション。
土方の仕事をしてる人が着るジャンパーを850円で買って仕事に行くってのが好きで、
デザイナーとか、タレントがカッコつけるのがダサイって、あるとき思ったらしくて、土方ファッションに走った。
工事現場の土方のようにクリエイティブワークをするのがいいねって話になった。
クリエイティブはいいけど、ディストラクションてなんなの?って考えたときに、既成概念だねって話になった。
コム・デ・ギャルソン川久保玲は、常に新しいモノ、美しいモノを作りたかった。
なにがカッコイイ?たとえば環境っていうものを、ゴミの分別をしたり、食べ物を新しくしたり、
そういうライフスタイルもカッコイイんじゃないの?新しさを感じさせるのは、文脈が新しくなったと思ったらカッコイイと思う。


核として「表現をしていく」人の心に働きかけることができる仕事ができるのが、クリエイティブっていう仕事のすごいところ。
特にマスコミュニケーションていう領域で、表現ていうテクニックをもって仕事をしている人たち。
その領域で既成概念を突破して、社会を新しいステージへ乗せていくってことをやらなくちゃいけない。
誰かが先陣切って冒険して、こういうことってカッコイイでしょ、みんなでやろうよって言って見せていきたいよね。


これからやらなきゃいけないことって、イノベーションを作り出しやすい環境をつくること。
民主主義ってみんなの想像力にかかっている社会だと思う。想像力のケアが足りてない。
みんながネックなんだけど、みんなが責任を感じた方がよくて、
マスメディアに関わる人も教育に関わる人もみんなが健全に関わるようにしなくちゃいけない。
端的に言うと、法律は自分でつくらなくちゃいけない。変えられないって思ってるところが多い。
それはみんなの想像力なの。想像力には想像力を持って働きかけるから、マスコミュニケーションの表現が必要になってくる。


広告ってタブーがあるところが狙い目なの。それが覆ると、みんなが「あっ!」というから。
新入社員の時に、ワインのコルク栓を抜いて、ワインを注ぐってシーンをとって、
「それって、私が初めて受けた性教育でした」っていうCMだったんだけど。意味深なわけ。
ワインを飲みながら男の人が女の人になんか言ったんだろうなって、思わせぶりなCMなの。
下ネタを上品に言う。普段言わない言葉をどんなふうにつかったら、ぎょっとするかなって思った。
グリーンピースなんてそのものがタブーだし。画像をくっきり思い浮かべられる能力が必要。
なんだかそれは置き去りにされてることが多いので、そういう訓練が滞りがち。それを一生懸命訓練して、いい表現者になろう。


啓蒙活動として、一人一人の想像力を掻き立てることを常にやらないといけないんだけど、
一方でイノベーションが起こる社会システムをつくらなくちゃいけないね。
社会科学をやっていて広告代理店に入ろうと思ったのは、仕組みがおいついていなくて、
NPOをどんどんつくっても変わらなくて、大きいモノと小さいモノの間を埋める仕組みができてないね。
イデアの資本主義というか、成果主義になっていればいいんだけど、いままでそうなっていなかった。
メディアにおいても自分から仕掛けられるメディアがあったりとか、お金についてももっと証券化が進むと面白いと思うんだけど。
NPOみたいなものって、資金調達の方法をもっとしっかりしたほうがいい。


お金の面で支えなくちゃいけない、メディアの面で支えなくちゃいけない。
「社会は可変だ」ってことを伝えたい。想像力を活性化させることが、社会を変えることになる。
あ、そういうことって可能なんだ、って、で、それはひとつの社会は可変なんだってことの証明になる。
結局は想像力の先に伸びていくことだから。そのためには、なるべくありえもしないことを達成する。
こういうことってありえなかったよな、ってことを思いつくことでもいいと思う。よく思いつくよなあってことでもいいと思う。
佐藤雅彦は、なるべく人の思いつかないことを思いつこうとしようねって、
でも本人は思いつかないから、みんなをけしかけて、まーちゃんは観客なのね。そういうのが面白かった。


100万人のキャンドルナイトって、あんなに簡単に有名になれるはずがない。ってみんな思っている。
広告代理店の人がいるからできるのね、って思いこんでいる人もいる。
あそこまで仕掛けられる人って、世の中にいないんですよ。方法論が世の中に無い。
いままで企業のコミュニケーションって、一個の会社が一個のものを売る表現が一つだったんですよ。
タグボートのスタイルが新しくない理由っていうのが、相変わらずCMしかやらなかったり。
それに対して佐藤可士和は、街全体を表現してたりする。
で、サステナは、多メディアを対象にしてたり、いろんな会社を相手にする。
一個の表現方法でモノが売れない時代にどうするかっていう話。
一個のモノを一個のメディアに表現するのはやめて、ジャンルで切ったほうがいいんじゃないかと思う。
一個の会社がやっても現状打破出来なくて、同じ事業者が集まって、共通のことを表現する仕組みが必要なんじゃないかなって思う。
キャンドルナイトとか万博って、環境問題とその周辺ってカテゴリで切っていて、そこに協賛するっていう会社がいるっていうかたち。
環境問題だけをサステナがやるっていうのは間違ってるなっておもっていて、
いくつもの関係する人たちをうまく束ねて、ムーブメントに関係するいろいろな人たちに送ることが大事。


目立ち方なんだけど、人がやってないことをやると目立つ。
タブーっていうのは言っちゃいけないことだから振り向く。そこまでいかなくても、みんながやってないことを敢えてやる。
既成概念を突破するために、やっても悪くならないよ。時代が変わって今やったらぜんぜん平気なのに。
原発派の人と原発推進派の人が同時に同じテーブルに同席していること。いままで同席しないことを美徳とする社会があった。
同居させることで既成概念を突破できることに人は気付いていない。ちょっとのお金でたくさんの広告効果が得られる。
100万人のキャンドルナイトのことだけど、いままで環境NGOは連名でなにかをするってことが得意でなかった。
えっ!?っていう意外性っていうか、文脈がずれているように見えるものっていうか、
幕の内弁当じゃないけど、揃えて見せると「そういう時代になったんだー」って、目立ち方として一つ仕込んでみた。
なるべく「NGOが」って書いてくれって新聞社に頼んだ。ほっとけば「環境省がやった」っていうふうに書いちゃうから。


サステナがいろいろ仕掛けていくことに対する方法論として、そこに居る人たちを束ねる。
束ねて表現するっていうことがすごく意味があるってことを説明できたらいいんだけど。


コミュニケーションギャップがあるところが私たちの仕事場なの。
有明諫早は日本最大のコミュニケーションギャップなの。
諫早湾締め切ってあそこに干拓地が欲しい人って、いったいどこにいるのー?さーっぱりいないわけ。ばかじゃん!て世界なわけ。
みんなの思いと現実がこんなに乖離してることって、そんなに無い。
NO WARのピースパレードもそうなんだけど、日本国民の80%は、アメリカはイラクを攻撃するべきかって調査にノーだったわけ。
でもピースパレードに来たひとはすごい少なかった。
なんでこないんですか?って聞いたら「あ、でも私、誘われてないから」って言って、それって本質だなー、よし!じゃあ誘ってやろうって思った。
社会問題はコミュニケーションの問題である。
ギャップが大きければ大きいほど、いい仕事になる可能性が高い。
行政対市民ていうふうに見るとギャップには見えないけど。大きな大きなギャップがあるのです。

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