広告代理店から愛を込めて

心筋梗塞になった40歳広告代理店の人のブログ

旗を立てる、とか、軸を持つとか、オトナである、とかそういうこと。

どちらかといえば、おらは激しく同意。

今は、価値判断基準を個人で持つことを否定する時代。
正確に言うと、
「価値判断基準を極大集団で共有しているということに幻想を持つことで自我を守ること」
が当たり前になっている時代。

 
その当たり前に依って自我を保っている人は、
無意識のうちに「個人として価値判断基準を持つ」ことを恐れ、
またそういうことが出来ている人に対してコンプレックスを持っている。


なので「背骨を持て」と言われても、
反射的に、「それが出来れば最初から苦労はない」
などに代表されるテンプレートの言葉で反撃してしまう。

 
もちろん、この「最初から苦労がない」などという言葉が、
自分の抱えている問題についてまったく理解していないということを如実に示していたりするわけだ。


「背骨がある」程度のことが、苦労を除けるほど万能の解決策であるなどということはありえない。
それはあくまでスタートラインに立つための前提条件であって、問題解決のためのワイルドカードではない。
そんなことにすら気づけないほど盲目的に「万能の解決策の存在」を信じようとしているのだから
(あるいは自分の直面していない問題を極限まで楽観視できるのだから)、
これはもはや狂信と呼んでいいベクトルの思考停止だろう。


自分の理解の外にあるものを全能と思いこむというのは人として当たり前の心の動きであり、
本来それを「神」という概念に吸収することで社会レベルの混乱を避けようとしたのが多くの宗教の基本理念だったわけだけど、
その宗教を否定したこの国ではそれぞれの人がそれぞれに勝手に神や邪神を創造するから始末に負えない……
などという話は本筋から完全に外れているのでここらで止めておく。

 
とにかく、今の若い人間に向かって「自分の背骨を持て」と告げるというのは、
おそらくは三十以上の人間が考えているよりも大きな苦痛を与えてしまう行為なのだ……


と、偉そうに書いてはみたものの、これは最近の私自身への戒めでもあったりする。

http://d.hatena.ne.jp/tea-kettle/20090224/1235421111