なんとなくわかる。
勤勉の中身が、たぶん世界のそれと日本のそれとで大きな違いがあって
おそらく日本の「勤勉」を続けるのなら、
その中にある、世界比で差別性のあるものに特化しなきゃならない。
世界のそれに近づけてゆくのなら
根幹の何かを捨てなきゃならない。
きっとそんな感じ。
「今の日本はダメだ」という点では
進歩的反動的、老いも若いも、みな口調が揃っている。
「いいじゃん、もう、これで」
という脱力系の言説だけが存在しない。
日本がダメである所以の過半は
「怠惰」ではなく「勤勉」の結果である。
だから、「ダメなのでがんばる」という脊髄反射的なソリューションを採択している限り、
「ダメ」さはさらに募るばかりである。繰り返し申し上げるが、現代日本の不幸の過半は「努力のしすぎ」のせいである。
私たちは疲れているのである。
私たちに必要なのは休息である。
『日本辺境論』が売れているのは、
「もう努力するのを止めましょう」という(日本人みんながほんとうは聴きたがっている)実践的提言をなす人がいないせいである。
きっとこの後、潮目の変化を感じとった言論人の中から
「日本人よ、ナマケモノ化せよ」といったタイプの言説を語る人が出てくるだろうと思うけれど、
そういうことを「せよ」という当為の語法で語るのがもう「刻苦勉励」なんだよね。
こういう提言は「オレ、ちょっと疲れちゃったからさ、休まない?ねえ、休まない?」
という懇請の語法で語られないと通じないのよ。
http://blog.tatsuru.com/2009/12/23_1004.php