電話は温度だ。
語気や抑揚。言葉と言葉の間。話の展開。
実は、言葉なんて何も伝えてこないのかもしれない。
あきらかに温度が低いと、
必要とされてないない感じとか、どうしようもない関心の断絶みたいなのを
ひしひしと感じたりする。
メールには、喜怒哀楽はあるけれど、温度がない。
前後の文脈から、ある程度推測はできるけれど、
やっぱりどこか薄っぺただ。
こんな風に思っちゃうのだから
自分はやはりデジタルネイティブ世代とはちょっと違うのかもしれないなと思う。
中高のとき、「手紙」というものが、信じられないくらい夢中になる対象物で、
極論いうと、休み時間の会話とか、下校時のおしゃべりとかよりも
もっと上位のコミュニケーション手段だった気がする。
密度がこかった。というべきか。
女の子とかわすそれは、まさに青春のかおりがぷんぷんしてたし、
仲のいい男子とかわすそれは、男同士の友情の証だったりした。
(中身自体はふざけあってただけだった気はするけれど)
面と向かって話すよりも、
電話の方が、ものすごくリアルな感じがする。
書いていて、「おかしいこと言っているな」とは思うのだけれど、
なんだろうな。。。
面と向かっての会話の方が、
じつは温度を隠したりできる気がしている。
一方で、電話は、隠せない気がする。
認識する要素が、音、だけに限られているから集中できる・・とか・・?
うん。
うまくいえない。。。