広告代理店から愛を込めて

心筋梗塞になった40歳広告代理店の人のブログ

絶対基準化の罠。


所属・技能・趣味、なんでもいいんだけど、
「わたし(達)はAが好きです。」
という人達がいるとする。


「A」という共通の所属・技能・趣味・価値観を持っているので、
そのひと達は関係性を築いていて、コミュニティ化している。
「A」は彼らの共通言語で最大の関心事だ。
ここではAクラスタと読んでみる。


Aの周りには、
「わたし(達)はBが好きです。」「わたし(達)はCが好きです。」
というクラスタもいる。


実は、AとBとCは、互いに似通った属性を持っていて、
たとえば、A=一眼レフカメラ、B=olympus pen、C=GR Digitalだとする。
(いい例がぱっと思いつかなかったのでここでは「カメラ」という属性を持たせたけれど、
 カメラが好きな人にしかわからないあまりよくない例だな。。。)


クラスタは、BとCなんてカメラじゃないと思っている。
クラスタは、AもCも古いカメラで、我こそ最先端だと思っている。
クラスタは、単焦点こそカメラの味で、AにもCにも勝っていると思っている。


一方で、同じ属性下にあるけれど、AもBもCも興味ない、
X=コンデジが好きな人たちもいる。

からしたら、ABCは理解しがたかったりするし、。
ABCからしたら、Xも理解しがたかったりする。



最近ちょくちょく思うのが、
一定期間以上、たとえばAの世界に浸かっていると
Aの世界の価値観が絶対基準化してきやすいなあと思う事。

Aの世界の価値基準だったり、考え方だったり、その中の空気のありようが
当たり前になってくるので、Aの世界の言語以外受け付けなくなりがちになる。
特に組織間でその傾向が強い気がしていて、そこらへんの危機感がすごいある。


この傾向で一旦スイッチが入ってしまうと、奇妙な「排他感覚」と「優越感覚」が生まれて、
他との連動や融合ができない。


ちょっと反省ポイントだったりする。