広告代理店から愛を込めて

心筋梗塞になった40歳広告代理店の人のブログ

究極の愛とは、罪の共有。


ここ最近ずっと、Nのために、に影響されまくっている。


彼の罪を、私も受け入れる。
彼の罪を、私が受けとめる。
私の罪を、彼が受け入れてくれる。
一緒に、罪を抱えよう。
そばにいなくてもいい。
彼が幸せでいてくれれば、
それが、私たちの絆と愛だ。


それが、Nのために、で描かれている究極の愛らしい。
(まだ全話おわっていない。かつ、ぼくの想像記述なのでわからんけれどw)


愛だろ。愛。


わからんわ。愛。


10代のころは、恋のつぎに生まれるのが、愛なんだと思っていた。
でも、いまかんがえると、
中二病感がいなめないけれど、あれやそれやこれは、
恋というより愛じゃねーのか?という気もしてくる。


愛は、共有によって生まれるのか。
愛は、ぶつかりあって生まれるのか。
愛は、覚悟によって生まれるのか。


ただ人る思っているのが、
愛しあうということと、一緒に生活する、ということは、
必ずしも一致・一緒ではないんだ。
というのがちょっと感じてきている。


愛の形は人ぞれぞれだ。


なんてありきたりな言葉の意味が、少しわかったような気もする。


夫婦のつぎは、何になろう。


そんなことが思える日がくるといいなぁ。