広告代理店から愛を込めて

心筋梗塞になった40歳広告代理店の人のブログ

ネットカフェ難民

キーパーソンインタビュー - 毎日新聞

−−テレビ番組もそうですが、新聞などでも、
解決方法を検証するような論説がなかなか表にでてきませんね。
感想を言い合って、感情的なところで終わってしまう。国民性の問題なんでしょうか?

水島さん  
国民性というよりは、ヨーロッパと決定的に異なる点は、
信頼できる知識人層がいないことだと思います。
戦後なんかには、日本にもいたんでしょうけどね。
マスコミの問題もありますが、
たとえば、ドイツにいた時に、ネオナチの暴力事件に対して、
教育界の人々が立ち上がって学校でキャンペーンをやったり、テレビで訴えたり、
当時の大臣たちが先頭に立って、鎮魂のデモをやったりしていました。
東京でいえば銀座みたいなところで、静かにデモ行進をして、市民も静かに参加する。
そういった知的なつながりがあって、人間にとってなにが一番大事なことか、共有しあえる土壌があったんです。
でも、日本ではそうはならない。
ネットカフェ難民の問題も「自己責任でしょ」なんて言われてしまう。


人間が人間らしくある、その基本が家族であったり、教育であったりすると思いますが、
それらが変化している上に、さらに大きな要素として、働く場・働き方の急変が問題としてあると思います。

その恐ろしさは、ネットカフェ難民を取材してはじめてわかったことですが、
くっきり現れているのが“日雇い派遣”という形ですね。
みんなが単なるコマとして、日々異なる、単純な肉体労働を、何年も繰り返し、
結果、賃金もあがらなければ、スキルアップにもつながらない。
ただ疲弊していくだけ……。これは何につながるのだろう、と。
たしかに、彼らとちょっと話をしただけでは、社会性が乏しいように思える人もいたりするんですが、
そうなってしまったのは「自己責任」ではなく、背景に、蓄積された社会構造の問題や、働き方の問題があるわけです。
我々など、就職してから会社や組織の中で働きながら学んだこともたくさんあるわけで、
そういった社会人になっていく経験を欠如してしまった、
それゆえのどうしようもなさ、救いようのなさがある。
ほんとうに、なんとかしないといけないものだと思います。


−−社会的な親がいない状態なんですね。
ヨーロッパの知識人層のかわりに、
昔の日本では、ご近所のコミュニティなどがあって、
ある種の社会的な親がわりをつとめていたようにも思いますが。

水島さん 
あまり単純化できないかもしれませんが、
地方の商店街がシャッター通りになっているなんていうことも関係しているのかもしれませんね。
会社じゃなくても近所の床屋で修行するとか。
そういった地域の産業や就労がなくなってしまって、
完全にシステマチックな、マニュアルだけのコンビニやファーストフードばかりが増えて、失われたものも多いのかもしれません。