広告代理店から愛を込めて

心筋梗塞になった40歳広告代理店の人のブログ

孤独は街にある。


孤独に苛まれる。
孤独に苦しむ。


孤独は、他者を意識した時に生まれる。
わからないけれど、
生まれたての赤ん坊に、孤独という認識はないのだろう。
孤独から生まれる感情もないのだろう。


「孤独でない状態」というのが、あるのなら、
それは、精神的/肉体的/物理的に、何らかのつながりがある状態を指すのかしら。


でも、今生きている人達は、皆、孤独だと感じる。


「会社教」(旧来の、日本的な企業文化)が崩れ、
日本教」(戦中・戦後にあった、ある種のナショナリズム)も崩れ、
「総中流家庭」も崩れ、
信ずるものがなくなった日本人は、みな孤独に思える。


いま振り返れば、
オウム真理教は、この時代の孤独を先読みしてたのではないか、とさえ思える。


こんなに繋がっているのに、こんなに孤独な社会って、何なんだろう。

たぶん、
孤独は街にある。家にもある。
人と人の間にある。


人を取り巻くハード(ネットワーク化とか情報化とか)が進みすぎて、
うまい具合にバランスがとれていた、「パブリック」と「プライベート」が、
バランスを失ったのじゃなかろうか。
あらゆるシーンの「総パブリック化」とでも言おうか。


簡単につながれるが故に、簡単につながれれチャネルが、「パブリック化」する。
深く繋がれるはずなのに、繋がる事が「消費化」する。


結果的に、今の人間が得たのは、
繋がりすぎることによる時間の消耗と、
プライベートな面を晒す時間の減退。


全てがオープンになりすぎたために、
深く繋がることから遠ざかった。


そうゆうことなのかしら。


今、タモリ赤塚不二夫な関係が素敵に見える。