広告代理店から愛を込めて

心筋梗塞になった40歳広告代理店の人のブログ

2001/06/12 62:51

得意先のロビーで、高校バスケ部の1コ下の後輩に出くわした。
今は、凸版印刷の、マーケティングリサーチ部門で働く2年目だそうだ。

帰り際の何気ない会話で、彼と同じ代の、
身長158cm。アメリカにバスケ留学をしていた同じバスケ部の後輩が、
bjリーグ埼玉ブロンコスに入団したと聞いた。

背番号13番、稲垣敦。
http://www.saitamabroncos.com/Players&Staff.htm

一緒に、1対1の練習をしたことを思い出す。

最近、昔のことをよく振り返るようになった。
感傷にひたりたいわけでもないのだけれど、
「自分は、どんな人だったっけか?」
と考えることが多くなった。
高校の同級生と会う機会が、最近になって増えたからかもしれない。


タイトルの日付、数字は、
小生の高校引退試合、対学習院戦の対戦成績である。

最初にして、唯一の自分がバスケをしてるビデオがあって、
7年振りに見た。

迷いながらも、一番がむしゃらだった時だ、と思った。


最近になって気づいたのだが、
やっぱり、自分が一番なりたかったのは、バスケのプロ選手だった。
自分でも笑っちゃうハナシである。

夏の大会は、余裕の一回戦負けのチーム。
アルワケネー、と、蓋を閉じていた。


後輩が、バスケのプロ契約を結んだ。
このことが、すごくうれしかった。
誇りに感じた。素直な気持ちだった。


そして、彼の覚悟のすごさ、実現したすごさを、感じた。


やらいでか


頑張ってほしい。
ヤツはウマい。
暇を見つけたら、試合を見に行こう。


関係ないけど、
自分のバスケ観は、Michael Jordan、彼から全てを得ていた。
彼は神様だ。


美しくしなやかなシュートフォーム。
強く華やかなダンク。
華麗なフィンガーロール。
試合の流れを変えるプレー。


あまり知られていないけれど、彼は3度引退している。(つまり、2度復帰している。)
1度目は、3連覇の偉業を成し遂げた後、父親の死とぶつかり、
父親の夢であったプロ野球(MLB)に挑戦したとき。
(もちろん、さすがの神様のバスケの神様に2物は与えなかった。)

2度目は、2回目の3連覇を成し遂げた時。

そして、3度目の引退まで、つまり2度目のカムバックの際には、30代後半にして復帰。
若きチームを纏め上げた。
40歳で40得点をとった記録まで作っている。


過去の栄光で終わらない。
今を磨けば、人はついてくる。

三浦和良が好きなのも、MJのせいかも。とか思った。

みんなの手本であるからにはネガティブであってはいけないんだ。
Michael Jordan

圧倒的なプロを前にして、感動しない者はいない。