広告代理店から愛を込めて

心筋梗塞になった40歳広告代理店の人のブログ

‘αブログ化’ するAmazonレビュー。


山本直人氏が、新著を出した。


その、Amazonレビューが面白い。
著者がブログでも指摘してる。

「実名化するアマゾンレビュー」


今回のレビューはなんだか面白い。という話を人づてに聞いて読んで見ると、たしかに面白い。
下手すると、僕の本よりも面白いかもしれない。そうか、批評が一つのカテゴリーとして成立するというわけか。
現在のところ、3名の方が書かれているが、すごいのはすべてが半ば実名であるということ。
一つ目は、ペンネームの中に姓名が入っている。
2番目は、「家電最大手宣伝部」の方がイニシャルで書かれている。
3つ目は苗字がペンネームに入っているのだが、文章を読むと電通の社員のようだ。
アマゾンのレビューって、最近は「半実名化」したのだろうか。

[http://www.naotoyamamoto.jp/blog2/archives/2009/07/post-107.html:title=
http://www.naotoyamamoto.jp/blog2/archives/2009/07/post-107.html]

感じたのが、たぶんこのレビューが、
下手すると最高のメッセージになっている。


2009年7月、ある広告代理店トップは社員に「私たちは覚悟を決める必要がある」と訴えた。
彼らは依然として広告「凋落」・「停滞」・「崩壊」への“暫定解”すらみつけられずにいるのか。

私には広告が死滅して絶えることなど考えられない。
ただ、分相応域を超えた広告バブルは当然に是正されていくだろう。
分相応への鍵は広告をめぐる需給であり対効果比である。
言い換えれば、消費というビジネス・シーンで広告は本来形へと是正されていくのである。

考えてみれば実に自然ななりゆきではある。
が、広告バブルへの郷愁にほだされた輩はまだその現実を受容しきれない。
広告業界を主語とした往年の輝きを断念できず、分不相応な夢想に悶え身を焼くばかりである。

これに対し山本直人氏はもうひとつの主語、[事業者]へとわれわれを誘う。
この視点を手にした瞬間、広告をここまで貶めたノイジーな虚飾は一掃され、
芸術とも擬せられた怪しいクリエイティヴはその終末を宣告される。

広告にはさらにもうひとつの主語がある。
いうまでもなく、いまや広告をなかなか通用させてくれない消費者がそれである。
本書においてはまだ明快な消費者論は示されていない。
しかし、彼が「消費者関与」(p.130)について語るくだりは圧巻である。
おそらく本邦でこのコンセプトについてこれほど簡易かつ示唆に富んだ指摘をしたのは
彼が初めてではないだろうか。

「買う気」をめぐる著作は本書に限らない。
その多くは「戦略」や「仕掛け」に逃げ道を求め、[事業者]へ「期待をもう一度」と哀願する。
その程度の施策変更でこの時代の消費者が動いてくれるのか。
懐疑を覚えた[事業者]にとってそれらはKYな小手先野郎でしかない。
本書は[事業者]視点を分析の柱としたことでKYに堕することから免れている。

[事業者]の多くは本書を読み、むしろ広告の有用性に確信を深めるだろう。
しかし、それは「変われない」広告業界の一部へのさらなる懐疑を意味するかもしれない。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4048679988


広告業界側」の自分にとっては、
このレビューを読んで、「マストで読まなきゃリスト」に、本書が入ってきた。


よく、マーケティング関連の本って、αブロガーの人達に回付されて、
彼らが批評したり評価したりして、それが売上げを左右したらいするけれど、
実は彼らのその類のエントリーって、最近は規定演技化している気がする。
特にツッコまないし、社交辞令としてとりあえず認めたりする部分が結構ある。


この手の本を売る時に、
クローズドでAmazonレビュアーの人にテストマーケティングするとか、
彼らのレビューをメッセージ化するとかっていうのが、
意外と効いたりするかもしれないなと思った。


最前線の現場で問題意識とか、危機意識とかを持っている人や、
「事業者」として、広告代理店への不満とかを感じている人。
そういう人たちが、実はこの業界が言語化できていない、
実感のこもった指摘・分析を持っていて、
それをあぶり出してくれるのかもしれない。


ひょっとしたら、単なる個々のタッチポイントにおける最適なメッセージ配置、
みたいな側面でしかないなのかもしれないけれど。。。