広告代理店から愛を込めて

心筋梗塞になった40歳広告代理店の人のブログ

鬱陶しい。

確実に鬱陶しい、ダメ人間なにおいがするけれど、
なんかキライじゃないので、そのままコピペ。↓

おれは中高一貫校で10代を送ったわけだが、
その頃の写真を漁る機会があって、色々と思った。

おれは、そのころからそれなりに写真とるのが好きで、
撮るってことはつまりおれは写らないわけで、そこら辺も気に入ってた。

おれがうつりこんだ写真っておれにとってはやっぱ、なんか違和感あるのな。
写り込んでるおれって異物じゃん、みたいな感覚は今でも抜けなくて、
写真とられるのはあんま好きくない。
それがすこしさみしいときもあるけど、それくらいでいいんだな、みたいな感覚が強い。
おれは写らなくていい、残らなくていい、みたいな。

で、とにかく、おれのとったあの頃の写真をみかえすとだな、
とうぜんながらおれの愛したもの、ひとしか写ってないわけだな、
あ、こいつ懐かしい、こいつとこんなことあった、あ、あれ、こいつ名前なんだっけ、みたいな。
ちょー愛おしい、そしてちょー憎い連中がそこにはいるわけで、
それなりに思い出すこともあったんだけど、おれは結構冷静で、
おお、お前大人になったなって自分を褒めてやったのだ。

そこにうつってる何人かの、
そうだな、10人足らずかそこらの人間を、おれはたしかに愛してたな、
とおれは思い返したりしてる。そしておれは愛されてたな、と思う。
ああ、おれこんなに愛されてたのに、あん時はわかんなかったなって、
自分が返すことのできなかった思いの多くあることにようやく気付く。
いまよりも、かなりめんどくさい類の人間だったようなおれを、
彼ら彼女らはそれなりの愛でもって対してくれたな、
おれはそのことわからなかったなっておれは酔った頭で思ったりする。

渦中にあっては仕方のなかったことが、お互いにあったんだよな、
とおれはだれにともなく語りかける。
おれはおまえのこと、おまえはわかんなかったかもしれないけど
すげー愛してたし憎んでたよ、で、
おまえはおまえでそれなりの愛と憎しみでもっておれに答えてくれてたのかもしれないよな、
おれわかんなかったけど、そういう思いがおまえにあったのかもしれない。

おまえにそれがあったかないかは置いといたとして、
それでもおまえはおれにとってすごい大事な出会いとしておれを襲ってくれた。
で、おれはうまくこたえれなかった。自分のことで精一杯だった。
あーもっとうまく愛せたって思うよ、
でも、あのころのおれにはああしかできなかったとも思う。
おまえがああだったように、ああいう風にしかいきれなかったように。

元気かな、なんておれはおもうんだ、都合よくね。
携帯のアドレス、変えてるんかな、引っ越したりしてるんかな、とか、思う。
連絡はたぶんしないだろう。

おまえのとなりに誰がいるだろうね。
誰かいろよって思う。
いまのおれだったら、もっともっとしてやれることあったなって傲慢にも思うよ。
意味のない話だけどさ。

人は人の思いにこたえることができなかったと、
時間をおいて、ひどく悔むようなことがあるのだろう。
おれはおれを悔む形で思い出してほしいなんて、これっぽっちも思わないけど、
それでも、おまえに注がれた愛の内の一滴として、
いつかおまえをささえることがあればいいななんて、
そんなことを思ったりしないわけじゃないんだ。

重たいかな、重たいか。
当然だろ、真剣な感情ってのは重たいんだ。
おれらはそれを時にかわし、時にかわされ、そうゆう非対称のなかでいきてゆく。
それは悲惨だけど、そうゆう仕方でしか人は出会わない。
男女問わず、乾いた激しいセックスをしそうな人っているけど、
彼ら彼女らは一つの仕方でもって
深くその悲惨に関わっちゃった類の人間なんじゃないかな、
なんて思うけど、それはまた別の話。

山奥にある学園の、あのくそ寒い冬の夜、
いなくなったおまえを捜しにいったのは、あれは愛だったろうよ。
おれが捜したのはそいつだけじゃない。
おれはおまえらを捜して、あの時期を歩き回ることに費やしたのだった。

ちょー愛してたよおまえら、そしてバイバイな。

顔あわす機会あればそれはバイバイの機会だ。

おれはまだちゃんとバイバイを言えてない。
それは新しく出会いなおすためのバイバイかもしれないし、
そうじゃないかもしれない。
ただおれはあの学校とあの学校で出会った何人かの人たちから
ちゃんと卒業しなきゃいけないって思うんだ。
おまえらをきちんと愛すために、
そして今目の前にいる何人かの人をきちんと愛するために。