広告代理店から愛を込めて

心筋梗塞になった40歳広告代理店の人のブログ

本質とは?という問い自体が本質であると思う。

あなたは自分の生が破綻することを恐れていらっしゃるのです。
破綻して、職業も名誉も家庭も失ったとき、はじめて人間とは何かということが見えるのです。
そうすると、はじめて人間の生とは何かということが見え、この世の本当の姿が見えるのです。
 

せっかく人間に生まれてきながら、
人間とは何かということを知らずに、生が終わってしまうのは実に味気ないことです。そういう人間が世の9割です。
 

私はいま作家としてこの世を生きていますが、
人間とは何か、ということが少し分かり掛けたのは、31歳で無一物になった時です。
 

世の人はみな私のことを阿呆だとあざ笑いました。
でも、阿呆ほど気の楽なことはなく、
人間とは何か、ということもよく見えるようになりました。
 

阿呆になることが一番よいのです。
あなたは小利口な人です。
http://toriomega.blogspot.com/2009/06/blog-post_17.html


なんかわかるのです。
たぶん、キレイに生きよう、キタナイものを排除して生きよう、
とすればするほど、
結果的に脆いひとになってゆく。きっと。


忌み嫌う世界とか人間とかがあっても当然よいのだけれど、
その忌み嫌うキタナイ部分とか、キタナイ心とか、含めて生なのだ、と。
自分が100%静謐で、潔白だ、なんてことは、ぼくにはイエナイ。



22歳まで、酒とタバコとオンナは、苦手リストに入ってました。


でも、やっぱりカワイイ女の子は好きだし、
ウマい酒もたまにはいいなあと思うし、
タバコは・・・。ノーコメントw


なんか、どうしようもない衝動とか。欲求とか。絶望とか。虚無とか。憧憬とか。嗚咽とか。
弱いところもキタナイところも含めて、愛せるように。
そしてその上で、上を向いて歩めるようになれたらいいなあ。
と、思うわけです。


なんとなく、キザシは見えるんだけれど、
突き抜けるまではいかない、不器用加減に万歳。