広告代理店から愛を込めて

心筋梗塞になった40歳広告代理店の人のブログ

自動車やPCの登場のように大きくは変わらないが、変わらないということはない。


うーん。わかる。
わかるけどまだわからない。。。

ガソリン車がハイブリッド経由で電気自動車になるとしたら、ガソリンスタンドが充電スタンドに変わる。
人はそれを予測する時、「ガソリンスタンドと同じくらいの数だけ全国に充電スタンドができて、
そのネットワークが長期間継続して運用される」と無意識に考える。

自動車に関してはそれは大枠で正しいだろう。
充電スタンドはガソリンスタンドと同じような社会の重要なインフラとなり、長期間安定して存在し続ける。


ネットは社会を変えるけど、これまでのように安定して同じ形で存在し続けるものを生み出すことはない。
たとえば、これからネットの中に学校ができていくと思うけど、
これまで存在していたような安定して継続する学校をネットが生み出すことはない。

あるいは、ネットの中にテレビ局ができるかもしれないが、
これまで存在していたような安定して継続するテレビ局をネットが生み出すことはない。
ネットはバカと暇人のものになるかもしれないが、これまで存在していたような安定したバカと暇人は消滅する。
これはものすごく凡庸な予測であるが、多くの人が見逃しがちなことだ。


(中略)


そして、さらに重要なこととして、ネットのイノベーションは、複利で効く。


トヨタとホンダがハイブリッド車で競争すると、我々は燃費のMAX値を享受できる。
しかし、グーグルとtwitterが競争すると、我々は、両者をかけあわせた結果を享受できる。


(中略)


ネットが我々の生活に与える影響は、個々の変化のかけ算であり、
そして、その個々の変化の中に、あらゆることの単価が毎年少しづつ下がることが織り込まれている。
これが、ボーナス商戦のように、毎年確実に少しづつ起こるのがネットというものであり、 21世紀的なイノベーションなのだと思う。
これを20世紀的な単発の不連続なイノベーションとして見ると大事なことを見失うし、過少評価してしまう。

(中略)


おおよその目安として、ネットは、テレビと自動車の原子爆弾を合わせたくらいのインパクトを10年ごとに我々一人一人の生活に与えるだろう。
ただ、それは時間的にも空間的にも散らばって起こるし、測定できるような均衡や構造を作ることがないので、
今までの見方で見ようとする人には、なかなかそれは見えてこない。


たとえば、広告費がどれだけネットに移行したかに注目しすぎると、
ネットが広告というものの意味を大きく変えてしまっていることには気がつかない。
そして、広告に代わる安定した「何か」をネットが作ることはなくて、
現時点ではそのわけのわからない「何か」よりは広告の方が確かに存在しているように見える。

当分の間、その「何か」が安定しないことも確実だが、安定しないままこれからも拡大し続けることも確実だ。
だから、その「何か」が何であるかを見極めてから行動を起こそうと思っていては手遅れになることも確実なのだ。


「何か」が何であるかがわからないと一切の行動の指針が得られないと思いこむのが一番危険なことである。


こういう世界ではあらゆることが不確実なのだけど、その中には複利イノベーションに特有の法則があって、
それを意識してさえいれば、不完全で凡庸な予測であっても充分行動の指針にすることはできると私は思う。

http://d.hatena.ne.jp/essa/20090929/p1