広告代理店から愛を込めて

心筋梗塞になった40歳広告代理店の人のブログ

成長はもういい日本人。

「成長はもういい」みたいな意識調査の結果を見かけるたびに、
なぜそんな風潮になっているのか不思議だったが、はたと気づいた。
もしかして、日本国民の間では、
経済成長とは過労死スレスレの長時間労働
サビ残激務の末に達成されるものという刷り込みがなされているのではないか。
http://hogshead.jp/diary/20090804.html#p01


成長はもういい、みたいない意識調査があるのかどうかは知らないけれど、
「経済成長」を、個人の経済的成功、とおきかえてみたとき、
最近おもうんだが、
「コスト感覚」「確率論」みたいなものがだいぶシビアになってる気がする。


単純に思いつくのが、
金銭コスト。
でもあと、
心理コスト。
時間コスト。
みたいなのがある。


もう1つ、確率論、みたいなのもあるかなあ。


今までは、時間コストは、耐えられた。確率も、悪くなかった。
耐え忍んでいれば、ある程度まではエスカレーターで成長できたから。(たぶん)


それがいまは、
成長を獲得するために支払うコスト(労働)と、その確率を考えた時に、
コスト高・低確率すぎる。
という判断がくだっちゃうんだろうなーなんて。


さらに言えば、仮に経済的成長を獲得できたとして、
じゃあそれ以外の「幸福」はついてくるのか、という点もちょっと思う。
「幸福」というのは、すごく抽象的で言いにくいんだけれど、
量と質で言うならば、質、の部分。


愛する人はそばにいるか。
良き友が周りにいるか。
何気ない日常の時間を味わいつくせているか。
みたいな。


もろもろ考えると、
不確定な経済的成長のために、
大きなコストは支払えねーよと。


なるわなそりゃ。


なんか、酒が飲まれない/クルマが買われない構造とちょっと似ている気がする。