広告代理店から愛を込めて

心筋梗塞になった40歳広告代理店の人のブログ

内田樹


R25 №224

ブレイクスルーって、
自分がいま使っている「知の枠組み」とか、言葉とか、価値観とか、
スキームに収まらないようなものと出くわしたとき、そのまま突っ込んでいくこと。


“日本地図だけしか持っていなくて、その地図上の自分の街の場所しか知らなかった人が、
突然、東アジアの地図を渡されて、「君の街はここだよ」と指示された気分のもの”


ブレイクスルーしない場合、ヒトはずっと「子供」のままで社会を生きていくことになる。
それは危険。


「子供は、“こういう場合はこうしなさい”というガイドラインがあって、
その通りに行動すればいいようになっている。
大人の世界というのは、どうしていいかわからないような出来事が起こります。
恋をするとか、親が死ぬとか、ハイジャックにあうとか。
マニュアルはないけれど最適な行動をとらないと、危険。


そういうことをなんとか切り抜けていくのが大人。
どうしていいかわからないのがこども。


簡単にブレイクスルーする方法は、「明らかに適切に生きている人を探して、その人の弟子になること」。


「自分が圧倒的に未熟であることを知ること。今の人は自分のことを“未熟”だとは思っていない。
言うとすれば、“非力”だとか“無力”だとか。
立場が弱いとか、金/学歴/知識がないとか・・。
自分に足りないところを全部挙げられるけれど、未熟さとはそんなことじゃない。
自分に何かが足りないけれど、何が足りないのかわからないこと。」


師匠とは、自分がなんだかわかっていない未熟な部分を指摘して補ってくれる人。



今のリアルは“傷つけないこと”。
子ども時代から叩き込まれてきた競争原理のなごり。
とにかく失敗を恐れている。
まわりの同類たちとの競争関係だけにこだわっている。
自分は、同年齢の集団のなかでどのくらいのランクなのかが気になって仕方ない。


“おれは、TOEICの点数が800点。おれは500点。
300点の差を埋めるために頑張ろう。”


これは、向上心じゃなくて、競争心。


本当にみるべきは、自分自身。
自分がきちんと前に進んでいるかどうか。
向上心に他人は関係ない。自分自身を観察するところからしか始まらない。
それを求める過程で、未熟さに気づく。測る単位も、自分の外側にアピールする術もないから、
ずっと置いてけぼりされてきた部分だと言える。


今の若い人たちが人間関係を怖がっているのも、
“プライバシーを侵害されたり生活のペースを乱されたり、
価値観とか美意識を混乱させられたりとかしたらいやだな。”っていうことを考えているから。


新しい人と出会って、新しいことを経験して、自分自身がガラッと代わって、
生活空間も交友関係も変化して、目の前の霧が晴れるようにすごく楽しいことが起こるんじゃないか、
というふうに前向きには思わない。


逆に、“こんなことが起きたらいやだ”っていう不幸な未来をありありとイメージして、そのリストを長くしている。
でも、そうすると必ず、“起こってほしくないこと”が起こる。